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真綿の季節(上)-czasu w wata-2017

  • clouds6
  • 2024年2月16日
  • 読了時間: 28分

一.昨日のことなんやけど、UKIUKIに行く途中の道でNOVOTEL前にたむろしてたおじさんお兄さん四、五人グループのうちの一人に、「ダイジョブ、ダイジョブ。」って笑顔で言われた。「イエス、イエス、」って親指を立てながら思った。私はそんな顔で道を歩いているんだろうか。その前に、おじさんそのサングラスとってよ目が見えないじゃないか。フェアじゃない。で、そのときにわたしが何を考えながら歩いているのかは定かではないが、おそらくお昼ご飯のメニューか、そのほかの取りとめのないことを真剣に考えていたんだと思う。まるで月のきれいなある夏の夜に、ひとり荒野に向かう武士のごとく歩いていたのかもしれない。信じられるのは、自分の魂と磨きぬかれたこの剣だけ。でもね。そこに待っていたのは、可愛い可愛い白い子猫ちゃんだったの。一応、ベーシック猫パンチ四発、愛攻撃、爆竹音からの空気銃、好物攻撃、いか、蜂、かたつむり攻撃を展開したが、子猫はきょとん。とするばかりで、「ねえねえ、遊ぼ☆」をやめなかった。ごめんね、っていって抱きしめたの。

二.風が吹き抜ける荒野で脇に剣を置いてひとりその子猫と話していたら、わたしのことが気に入ったのか、背中に乗り、肩をまたいで頭の上に乗ってきたから、猫がずり落ちないようにますます精神を統一して風の音などを聞いていた。ずっとこうしている暇もないから、新しく引っ越す家の中が寒くはないか心配ではあったが、とりあえず連れて帰ることにした。道の途中で、今度は黒い着物をきた陰陽師らしき人が立っていて、「あ、この先、壁なんで」という。猫はこの会話の行く先をとても気にしているようで、両耳をピンと立てたのがわかった。頭の上で(この場所が気に入ったらしい。まあ、モンブランを頭の上に載せるよりかは恥ずかしくないから、いいとして。)。「いや、僕この中に封じ込めてて。この先に行くのなら、この生き物を、諭してからにして貰えます?」などというので。その壁とやらの絵の前に正座している。

三.さてその壁には何者かが確かに封じられているようにも見える。自分の心の目を信じるならば、それは龍であると思う。しかし龍は皆が皆同じ形を持っているわけではない。わたしはこの土地においても一度大きな龍を教え諭したことがある。正直にいおう。滅多切りにしたのだ。ただ龍は観念的な生き物であるのでそう簡単に死にはしないのである。わたしはその龍と、大きな窓ガラスのある南向きの部屋で、背後には鈍い色をした大きな沼、そこに太陽の光が燦燦と降り注いでいる、そういう場所で、出会った。ずいぶんと強大化した龍で、天井に頭がつくかどうか心配であったがそういうものは彼の妨げにならない、というか次元が違うのである。で、またずいぶんと偉そうに見下ろしてくるし、たくさんの人々が思い悩み苦しむ様子をせせら笑い見ながら生活しているような性悪な龍だったから、わたしはそのときはチラとみただけでその部屋をあとにしたのだが、あとで彼を八つ裂きにしたのである。その龍はわたしを本気で怒らせてしまったから。しかし翌日にその部屋にはいると、床に小さくなって、ちょこんと座っている。それからはわたしが部屋に入るとそのように座っている。反省しているようだし、殺さないでといった風だったから、もちろん殺さなかった。ただ時にまた性悪をぶり返していないか気になっていただけだ。ところで遥か海の向こうの西洋では、龍退治をする、オレンジ色か、深い赤紫色だかの大天使がいるらしい。わたしは西洋人ではないから定かではないが。何れにしても、この国においては、龍はなるべく殺さないでおくものだ。で、この龍。この龍は完全に壁の中に封じ込められているので、身動きすらとれないのであるが、だからこそ安心し、ひれ伏して喜びのままその魂を昇華させてしまった、残り影なのである。さてその影とわたしが今何を語るべきだというのだろう。そしてこの陰陽師は何者なのか。

四.ふと顔を上げると、その陰陽師は時計を気にしながら、「や。僕、今すっごく忙しいんで。すうっっごく急いでるんで。これで。」と言う。そして私が答え切らぬままに立ち去った。とすると、私と壁との問答は彼にとってはそんなに重要な問題ではないらしい。そして何も語ることなくただ幸せそうにそのかべにはり付けられた龍も、とくに私がそこを通り過ぎることについて、全く異論がないとみた。ところが、だ。どうやら壁は一枚ではなかったのである。幸運な白猫はもう頭の上で寝てしまったから、よしとしよう。視界には壁は一枚に見えたのであるが、龍と問答しているうちにどうやら私はある箱の中にすっぽりと入ってしまったらしいのである。左側には、男性と女性の絵が描いてある。そして右側には、雲から勢いよくジャンプして降りてきた人が、地上にて七転八倒しながらやがて蛇になっていく様子が描かれていた。憂き世の中よ。そして左の一対の男女は、「ええ、ええ、お行きなさい」というので礼をいい。しかし蛇は黙ってはいなかった。

五.「あなた。どこへお行きになる」と聞くので、「実は、わたしも行ったことが無いところでして」「逃げるのではあるまいね」そこで猫は目を覚ました。頭の上からぴょこんと降りて、わたしの横に眠そうな真顔で鎮座する。「まさか。」果たしてわたしはいつか逃げて来たのだろうか?夢の中でなら、ある。いや、白昼の間であっても、だ。なぜならわたしは面倒な論議をなるべく避けたいからだ。「あなたに何の関係がある」と尋ねると、多少気分を害したように、体をくねらせた。蛇がザラザラとした壁の中を這いずると、ゴーゴーという音がした。「ご気分を害されましたか」と聞くと蛇は気がついたようにゆっくりとした動作で元の位置に戻った。ちなみに、人や動物を怒らせることがわたしは大嫌いである、まして、蛇というのは大概女性性を帯びているから、その怒りの源泉はとりとめもなく、また長引くのに違いなく、ますます嫌なのである。「お出しなさいよ」と落ちついた風を装った声で、いう。「は。」武士らしく何事にも動じないように努めているわたしは最短距離で聞いた。「これは博士課程修了試験です。」「…。」「博士になろうと、思ったことは?」「無いといえば無いし、全く無いということも無いですね」「全部お出しなさいよ、わたしに」「はぁ。しかし何故、あなたに」「理由を考えては、いけませんよ」とその多少強引な蛇は言った。蛇はそのとき、青白く透明に光りだした。その様子に我ながら驚いて、しばらく目を奪われていた。子猫は「みゃお。」と小さく身震いした。そのときその猫の両の眼がちょうどその蛇の青白光に染まっているのを目にした。いや、もとからこのような青い目をしていたのかー。わたしは蛇に何処か猜疑心を持っているのだが(バイブルにあるように)美しい光景を目の当たりにして、蛇の言うことを信じてしまいたい衝動に駆られた。美と、欲望というもの。わたしは、わたしとその蛇との関係性がただどこにでもある平凡なものになってしまうことが耐えられなくなることを、そのとき危惧し始めたのだった。

六.さて何かを恐れ始めたときには注意すべきことがある。まず、恐れてはいけないこと。すべての美しきものたちは、わたしの前を幾度もなく通り過ぎていったではあるまいか。これはほとんど、習慣といってもいいほどのものだ。今回も、そうなのだ。ただひとつ違う点があるとすれば、この蛇は非常に繊細に何かを伝えようとしているらしい。いや、自分が知りたいのかもしれない。「CZEMU」わたしの口からこのような言葉が出るのを耳で聞いた。「CZEMU」いつそのような言葉をわたしが習ったというのだろう?そしてどこの国の言葉で、どのような意味なのだろう?(そろそろ時間が無くなってきた。)われに返ってそう思うことにした。引越しの準備があるのだ。おまけに猫まで拾ってしまった。「蛇さん」丁寧な声で呼びかけた。いよいよ別れのときだ、という口調で。「反対側の壁のご夫婦のことを、ご存知ですか?」「ああ。りんごを食べたADAMとEWAだね。」「もしや、あなたが?」「関係ないね」「お二人人は、わりと、幸せそうでしたよ」「そうかい。ふん。」裏側の二人については、さほど興味がなさそうだった。「では、わたしは、これで」沈黙を経てから思い切って放った。また少しして、質問に答えきっていないことを思い出してこう言った。「わたしは逃げるのではありません。これは、運命なんです。」『運命は自分で創り出すもの』ー寺子屋の先生はゆっくりとこう書いた(わたしは剣術のほかに、書道と算数と、馬術を習っている。わたしが本当に嗜みたいのは、華道であったが、その先生が花を無碍に扱うことが我慢ならずに止めてしまったのである。野に咲く花は最も美しいではないか。)そしてわたしは「出しますね」と言った。「あなたさっき、美しかったですよ。どうもありがとう。それはわたしと、この子猫しか、見ていなかったんです。おそらく。すくなくとも、この夜には。それだけで、あなたはもう特別なものです。わたしにとって。今晩の月は、今晩だけにしか見られない月であるのと、同じように。」すると、子猫はもういなかった。

七.すくなからず私は、子猫が突然消えてしまったことに胸が痛んでいた。さよならも言わずに。しかし、そういう類の猫であるということもどこかで分かっていた。「来るをこばまず、去るを追わず」剣術の先輩は言っていた。そういう風だったから、もちろん彼は女にもてた。そのころは、そういう時代だったのだ。わたしは、子猫がいなくなっても胸がきりきりと痛む類の武士だ。それでいいではないか。気を取り直して壁をみると、なんとその蛇がどんどんと縮小していく最中であった。壁の中央から右下に向かってゆっくりと、墨のようにだんたんと濃くなっていき、最後には小さなかたまりのようになり、やがてそのかたまりは本物の炭となって、コロンと地面に落ちた。「ああ。出会うものはすべてわたしから去っていくものだ」長いこと置きっぱなしにしていた剣を持ち、風の中を立ち上がる。すこし迷ったが、あとで良き思い出になるように、その炭を拾いあげ、ポケットに入れた。風がわたしの髪と頬を優しく撫でたので、わたしはぐっと涙をこらえた。やがて壁は箱ごと消えてしまった。全てが幻想のように思えたが、風の音だけはいつも同じだった。月はあいかわらずちょうど半月のまま夜空に輝いている。さて、この半月は満ちていくのか、やせていくのか。わからない。そこで、わたしはみた。壁が消えたあとに、おおきな黒い水溜りができていたのだ。そして、自分は猫を被っている。

八.さてその黒い水溜りは、墨汁のように黒かったが、果たして夜空が映っていて黒いのかもしれなかった。自分が猫のような顔をしているのをこれ以上見るのがとても嫌だったが、もっと確かめたい好奇心に駆られて、覗き込んでみると、たくさんの星がその中で瞬いている。「これも反射なのだろうか」わたしは思った。もう自分が猫の顔をしていることがさほど気にならなくなった。柔の道。とにもかくにも、まずはありのままの自分を受け入れるのだ。それに今はそんなことを気にしている場合ではない。さてこの水溜りからは沢山の星が中心をもって渦巻いていて、動いているようにも見えてきた。本当の星が動いているからだろうか?わからない。すると星の動きに合わせて、ピアノのような音まで聞こえてきた。その野原にはもはや自分の他にはだれも居なかったので、また座り込んで、その聞いたこともないような音楽に耳をすませていた。するとそのピアノの音は自分には言葉として知覚されてくることがわかった。つまり、彼は話しかけてくるのである。「引越し先はどこですか」と。そういえば、住所をまだ調べていないのだった。「行って見れば、わかるさ」。とてもゆっくり弾いているかと思うと、星がまたたくように早く鳴らすときもあり、すこしわたしは眠くなってきた。とても、眠くなってきたのだ。ああ今日はいろいろな事が、あった。いつものように。。そしてわたしはまどろみはじめた。そうだ、そういう時間なんだ。ただ、眠ればいいんだ。。すると、わたしは眠りに落ちる瞬間に、その水溜りに、落ちてしまったらしい。

九.水溜りが、海につながっているなんて、考えてみたこともなかった。しかし、そこは海だった。余りにも青い夜空のような海。しかもそこは自分が想像していたよりも遥かに深い。「ああ、わたしは泳ぎをまだ覚えているらしい」いつか海で練習したことを思い出した。さて今この海は博物館のようになってた。星の研究を熱心にしている西洋の学者がいて、彼は世界を変えようとしているらしい。わたしにはどうでもいいことだ。自分の魂と、この磨きぬかれた剣と。。。しかしわたしが着物でなれない泳ぎ方をしているためか、剣は五メートル先くらい上方に流されてしまった。「おい」と自分にいいきかせた。命の次に大切な剣をそのままにしておくというのか。しかし、自分にはもっと先の海底を見に行かなくてはならないという強い思いがあり、一刻も無駄にすることができないと感じていた。「早く、助けなければ」そういう思い一心で先へ、先へと進んだ。やがて海底らしい場所についた。星は信じられないくらいに沢山瞬いていた。それはただ泡が月の光に反射してゆらめいているのが海底にとどいているのかも、しれなかった。その美しい海底でわたしが目にしたのは、ちいさなガラスケースに入れられた、二十センチほどの人魚のミイラだった。

十.「ああ、間に合わなかった」わたしは泣いた。「かわいそうな人魚。僕はどんなことがあっても、決して決して君のことを、忘れてはいけないね。これからいつも僕は君と一緒だね。」それから、海中の星はもはや花のように色とりどりに輝きだしてわたしの心を慰めたので、わたしはそのガラスケースを置き去りにして、水溜りへと帰っていった。

十一.海から水溜りへの帰り道で僕はひたすらその人魚のことを考えていた。ぶくぶくという水の音を聞きながら。水溜りに近付くにつれて、またピアノの音がだんだんと聴こえるようになってきた。そして激しい空腹を覚えた。「ああ、やっぱり、地上はいいなぁ」なんて僕はゲンキンなのだ。水溜りから這い上がると、そこはもう青空の下だった。剣が脇に落ちている。僕は笑い出した。「世界はそんなにひどくない。」と、口に出して言ってみた。「口に出して言ってみると、本当のことになるよ、言葉は生きているから。」そう言っていたのは誰だっけ?愉快な気持ちのまま立ち上がってみると、墨汁が髪や着物から滴り落ちた。それから、袖の中にも何か重みを感じたので、袖口からそっと覗いてみた。すると、右の袖には鯛が一匹、左の袖には鯖が四匹、ピチピチ跳ねている。「デカしたぞ!」僕は走り出した。僕には地上にも大切な人がいる。彼女は、僕のことが好きだ。そして僕の帰りを待ってる。(喜ぶだろうなあ…。)しかし、墨汁が髪や袖や裾から滴り落ちるので、彼女はびっくりするだろう。僕は立ち止まった。そこで、その荒野の端っこからまた真ん中まで戻り、裾や袖口を絞りなかわら八の字に歩いた。どうせならこの墨汁を無駄にしないでおきたかったのだ。どんなものにも生命が宿っているのだから、と彼女が言ったのだ。だからもう少し僕は道草をしなきゃならない。八の字は縁起がいいと聞いた。それから、あの海底で。そう、博士は八の字を描いていたんだ。八の字が、横になったやつ。ま、あいつのことはどうでもいい。僕は、彼女に、魚を持って帰り、風呂に入り、飯を食う。さあ急ごう。

十二.家に帰るとちえは輝く笑顔で頬を紅潮させて、黙って湯を沸かし始めた。決闘についてや、髪や着物全体に墨が固まってへばりついている理由について彼女は何も聞かなかった。僕の周りに理由について聞いてくる人は、あまりいない。彼らが全く気にしていないのか、あるいは僕が理由をいちいち聞かれることが好きではないということを何処かで聞いたのかもしれない。「風呂沸いとるよ」後ろ姿のちえは言った。思えば、私は彼女の後ろ姿や、淡々と魚を捌いてしまうところ、そして何より、日々変わる彼女の花のかんざしが好きなのであった。ちなみに僕は魚を捌いたりは、しない。焚き木で丸焼きにするほど旨い魚はないと思う。しかし料理について意見することは差し控えているから、何も言わずに浴場へ行く。彼女は僕がたまに返事をしないことを知っているし、よく研いだ包丁で今鯖四匹を捌いているところなのだから。鯖を渡したときちえは、眩しそうにそれらを見た。太陽がガンガン照りつける朝(昼?)だったから鯖も大概に光っていた。それとも、そういう鯖なのか。そう考えながら左の袖口からあるはずの鯛を出そうとすると、これがない。袖の中に留めておくには鯛はさすがに重かったらしい。つまり今頃はネコかカラスのごちそうさ、素晴らしいね。さて、風呂に入って僕自身になろう。浴室に入ると丸い釜から湯気がもうもうと立っていた。その湯気からは、ラベンダーの香りがした。そっと足先をつけると、ついている墨がお湯の中に広がって模様を描いた。そのまま何かの文字になったりは、しないか。何せこの墨は、陰陽師の筆の先から出てきたものだ、どんな暗号が錬金されているのか、わからない。しかし墨のマーブルはいつまでも気楽なマーブルのままであったので僕はその中にらざぶんと入り頭のてっぺんまで浸かった。髪からも墨が流れ落ちて湯に混ざり、僕のまわりに沢山の墨のマーブル模様が出来た。

十三.その美しい墨のマーブル模様の中に沈んでいると、また人魚のことを考え始めた。あれで良かったんだ、あの場所が、彼女の墓場さ。星が海底で色とりどりの花のように揺らめいているところ。彼女にとって、それ以上の場所が、あるか?僕はさらに長く湯の中に潜っているために、両手で両足をぎゅっとつかんで丸く小さくなった。すると右の掌に何か違和感を感じた。お湯はもう黒いから、よくは見えないのだが。そこでざばっと湯から立ち上がり釜から出て、自分の右足を見た。右足の小指がに鱗が生えている。色はあの人魚の尻尾の色にそっくりであった。「君。ここに僕の一部になっていたんだね。」「あなたの世界の一部になりたい。」彼女はそう言ったのだった。そこでまず黒い足袋を履いた。さてこれは、誰にも見られないようにしなければ。そう決心しながら居間に戻ると、湯気の立つ朝ごはんと清々しいちえの笑顔が見えた。

十四.「蕗の薹」彼女は言った。「食べたいって、言っていたでしょう?」「...ああ、フキノトウ。素晴らしい朝ごはんだね、さあ、君も、食べよう。」ちえはにっこりと笑ってまず僕が箸に口をつけるのを待っている。「…どう?本当は、醤油を切らしていたから失敗してしもうたんよ」と俯いていう。「失敗?たまには失敗したらええよ。失敗を含めての、料理さ。それに、ほら。」僕は箸でちえに蕗の薹を食わせた。「こんなに、美味しいじゃないか。ね。」彼女は笑った。急いで二人で鯖も平らげた。僕は三匹、ちえは一匹。それでもちえは満足そうに頷きながら、「デザートも、あるの」ともぐもぐする口元を右手で隠しながら、言った。「デザート。餡子かい?」僕は餡子が好きだから、そう聞いた。ちえはクスと笑ったかと思うと、背後にある桐の棚の引き出しをそっとひいて、なかから小さな紙の包みを出した。「うふふ」ちえは楽しそうに笑いながら、僕の前にそれを置いた。「さあ、お茶淹れるね」そして朝飯の皿を片付けながら、台所に戻って行った。居間に1人になったので、僕はその小さな紙包みをそっと開いた。「MACARON?」二センチ四方の丸いピンク色の上下の蓋の中に、白と薄緑色のものが挟まっている。これは、西洋菓子だろうか?僕はちえの帰りを待った。

十五.「マカロン」彼女が茶を盆に乗せて台所から戻り部屋に入ると即座に僕はそう聞いた。彼女は質問に答えかねながら、俯き加減に僕に近づいて来て、卓に湯呑み、次に急須をそっと置いた。その湯呑みには白地に藍色で、何かの絵が描いてあった。さてこれは何の絵であったかな。目と足がついているが、動物のようにも見えず、名前がどうしても思い出せない。(蟹か?)僕がその湯呑みをじっと見つめている間に彼女がその湯呑みに茶を注ぐと、若い新茶の香りが宙を舞った。彼女はほっと一息をつき空いた盆を胸に抱えて、こう言った。「ええ、あなた。西洋菓子よ。昨日あなたが留守の間に、お客が、あったんよ」と嬉しそうに、言う。僕は彼女の目を真っ直ぐに、見た。今彼女の目には涙の膜が被さっていて奥がよく見えない。次の言葉を待っている間、仕方がないので僕はそのMACARONを、武士らしく一口で食べた。彼女はさらに夢心地な様子で、小さな声で囁いた。「宣教師…。」「なんだって⁉︎」彼女はやっと、今、僕に気が付いたかのように僕を見た。僕は自分が取り乱したと思われないために、ひとまず茶を飲み、湯呑みを一旦置いてから、こう聞いた。「外国からの客だったのかい?」

十六.「村役場の裏庭でね、音楽会があったの。」とちえは言い訳するように言った。「ああ、君は、僕が荒野に決闘に行っている間、音楽を聴きに行っていたんだね」ひと呼吸ごとに区切りながら言った。(しかし実際にはそれはただの白い子猫で、しかもその猫を抱きしめてから、世界が変わり始めたんだよ。)ということは心の中に留めて置いた。寺子屋では算数の先生であり、週末は箏の名手でもある彼女が、西洋から持ち込まれた新しい音楽を聴きに音楽会に行ったからと言って、何が悪い。しかし役所も役所だ。いや、これ以上女々しくなるのはよそう。ぼくの生命が終わってしまう…しばし、考えるのを、やめるんだ。そして今度は彼女が僕の目を真っ直ぐに見ながら、言った。「私、あなたのことを守りたいのよ」

十七.彼女は僕よりも十歳年上で、夏と秋の間には十一歳年上ということになる。だからこそ、彼女がたまに僕を守りたいというような見え透いた行動を突然にとってしまうことも、分かっていた。しかし実際に彼女は子供のように世界に対する好奇心が強くおまけにそこらの寺子屋教師よりも頭がキレるので周囲に馴染みまた女性らしく振舞うために往々にして何事をも分からないフリをしてしまうのであるが、意思がやたら強いので、黙って話しを聴くことにした。「あなたはもうすぐ、お城に行かなければならないでしょう。これは武士の仕事だもの。あなたの剣の腕が買われたのよ。わたしは、凄く嬉しい。今まで生きてきて、一番。あのへんてこりんなお殿様、多分そんなに悪い人じゃあ、ないわよ。それにネェ、あのお姫様。もうすぐ十歳になられるという。あのお姫様を御守りするなんて。私が男でなくて、本当に残念のくらいなの。明日には、旅立つのよ、すぐによ。そしてわたしは、ここから、いつもあなたを守るわ。」

十八.僕は少し混乱してきたので、それを機にずっと気になってたことを聞いた。「ところで君、君はこのマカロンを食べたの?」すると彼女はもう堪えられないという風に笑い出した。ハーモニーボールが鳴るような笑い声だ。もしもそんな楽器があるとすれば、ではあるが。「いいえ、いいえ、あなたが帰るまで、ずっとそのことをすっかり忘れていたの。味はどうだった?」などと聞く。僕はその味をほとんど覚えていなかった。それどころか、僕はいつ食べてしまったのだ?彼女にあげるべきではなかったか?あるいは半分ずつに。これは彼女との最後の食事になるかも知れないというのに。僕が非常に困っ顔をしているので、彼女はいつものように助け舟を出した。「それより、ねぇ。ここに書いている文字、これがあなたには読める?」そういって僕がさっき無造作に丸めたマカロンの包み紙を広げてみせた。「EAT ME」?

十九.「お前。これは、。」うふふと彼女は笑った。「ねぇ。僕は君の意思に反対したことは、今の今まで、一度もないね。しかしね、」彼女は優しく微笑みかけた。「好奇心というのは、時に、とても危険な物でもあるよ」なんだ、という風に彼女はまた笑った。そして少し真面目な顔になったかと思うと、こう言った。「あなたも、ね」すると時間が来たのか、目の前に沢山のたんぽぽの綿が飛び始めた。何処から来たのか、分からない。そうして、彼女の周りを竜巻のようにぐるぐると回り始めた。「君は、誰だ?」「あたしよ」と彼女はいい、元の風景に戻った。「音楽会の話しをしようか」なんとなく、其れ程時間が残されていないらしいことを知って、僕は彼女に提案をした。

二十.しかし彼女はやはりもう元の彼女のようには見えない。よく見れば彼女はいつもしているはずの簪をしておらず、代わりに貝殻のピアスをしている。いつから彼女はピアスをしていたんだ?見ると、さっきまで来ていた着物ではなくて、真っ白い西洋風の服を着て、胸には簡素な木製の十字架をかけている。血の色のような羽織りを肩にかけて。しかし、何よりも、彼女は半透明になっていた。「Miłośc」彼女は言った。「意味を知っている?」と聞いた。僕は訳がわからないまま、口をポカンと開けつつも高速で考えた。両の目でしっかりと彼女を確保しながら。「お店の名前かな。その、マカロンとやらの。」僕はとにかく時間を稼ぎたい一心で口から出まかせを言った。僕には、本当に珍しいことだ。床に落ち着いていた綿毛たちがまた風に吹かれて舞い上がり、僕たちの回りを周り始めたかと思うと、やがて僕たちの間に絞り込み、硬く硬く絞ったかと思うと、次の瞬間には、白い幹の木になって立っていた。違う。僕はまだ、最初の君の質問にすら、答えていないのだ。Eat me だっけ?Kill me だっけ?語りかけてくる食べ物なんて、嫌いさ。なんて厄介なんだ。こんなにも彼女の景色を変えてしまうだなんて。しかし、彼女はどこだ?見るとその木には、美しい白いヘビが優しく絡まっている。

二十一.「音楽が、祈りであるって、知っている?」白蛇になったちえは木にゆっくりと登りながら、聞いた。上を見上げるとその木は優雅に天井を突き破り聳え立っているようだった。「御大切」口のない彼女は言った。彼女はもう別世界の生き物のようになってしまったのか?一体昨夜の音楽会で、何があったというのだ?彼女が幹の下に何かを促すので、僕は庵の付近を探した。すると、そこに鈍い薄青緑色の一升瓶が立っていた。まるでナマズの目のような色だ、と思った。そしてそのラベルには、「Drink Me」と書いてある。僕は怒りに震えて、立ち上がった。「止めないか!」しかし何事も変わらないようだった。部屋の隅にいた1匹の蜘蛛が自分の張った網に逃げうつっただけだ。蜘蛛の巣?ちえは掃除をしていなかったのか?いや、そんなはずはない。では、ちえはどのくらいの間、ココにいなかったのか?違う。彼女は、ココで僕の帰りを待っていた筈だ、絶対に、だ、そう、今日のために。では、その音楽会はどのくらいの時間行われていたのか?あるいは、僕は…どのくらいの時間海に潜っていたのだろう?

二十二.いつ間にか、床から生えている木が突き破った天井が、その木の周りに綺麗な円を描いて穴が空いていて、急に月の光が差しこんだ。半月は昨日よりも少し欠けているようだった。「そうだ、これはやはり一日の間に起こっていることだ。いや待て。もしかして、28日、或いは、56日経っているかもしれないが。」しかしその円から、何やら歌声が聞こえてくるのが分かり、僕は考えるのをやめた。何処かで聴いたことのある、音楽だ。BACH? VIBALDI?この二人は違う年の同じ日に亡くなってらいるらしい。どうでもいいことを、たまに僕は思い出さなければいけないようだ。するとちえはゆっくりとその天井の円に向かって、あるいは月に向かって木を登りはじめた。「違うんだ。ちえ、それは、それは、音楽会では、無いんだよ。」

二十三.僕は、必死で考えた。信じるべきものは、自分の魂と、磨きぬかれたこの剣と。。ゆっくりと剣を抜き、その木を切る準備をした。天井からは、ますます音楽が高まり、クライマックスへと差し掛かっていた。「天井の音楽」とつぶやいてみた。まったく、世界はユーモアを忘れてはいない。しかし、この木はなんと美しいのだろう?この木を、のちに蛇神のやどる木として祀ることはできまいか?ああ、それが唯一、蛇になったちえと連絡をとる方法では、あるまいか?そして、とうとう天井の円にまでたどり着いたちえはますます白く輝いて、「ありがとう」といった。天井の円から見える夜空は、やはりとても蒼くしかし星は水面にうかぶ花のように揺れていた。そこに吸い込まれたちえは、最後にはまるで小さいめだかのように見えた。すると雲が円のふち側から突然に立ち込めてきて月と、花と、めだかとを隠してしまった。その雲から、ちょうど三滴、水が落ちてきたので、急いで一升瓶の口を開いて、そこに捕まえた。そして、それを一気に飲み干した。

二十四.「困るなあ、この浪人。初日から遅刻してくれちゃってさぁ。」気がつくと、僕はどうやら新しい勤務先の城に移動していたらしい。「ま、僕は優しいからさ、遅刻させなかった訳なんだけれども。僕がわざわざ使いの者をよこさなかったら、君、初日遅刻、あ、もしかして、初日欠勤しちゃうところだったんじゃない?ね〜、ちょっとキミィ、どういうつもりぃ?僕はすっごく優しい城主、経営者?っていうのかな…くす。分かるかなぁ、この僕の、繊細な心が!」僕は彼の前に正座をして、勤務初日を無事に迎えているようだった。昨日はあのあと酔っ払いのように眠りこけてしまったらしい。「ありがとうございます。」言い訳は一切してはならないと教えられてきたので、まず礼を言った。「城の経営も、最近ではそんなに楽じゃあないからね。使いの者を4人やるのだって、それなりの経費がかかる。それに、なんてってたって僕が心配しちゃうじゃない。ガラスのハートなんだからさ、よくよく、心得ておいてよね。」「重々、承知致しました。いやあ、かたじけない。」武士はあまり話すものでもない、と教えられてきたから、必要最小限の返事をした。「ちょっと、人事ぃ、人事、呼んで。その着物さぁ、ちょっと、時代遅れっぽくない?ほらぁ、僕は美的感覚が優れてるからさ、気になっちゃうんだよね。ね、君は着る物、どこで買っているのかな〜う〜んなんていうのかなぁ〜」「僕はほんっとに忙しいんだけど、世話焼きだからさぁ。ねえ、僕って、結構いい人でしょ?」話しが終わりそうにないので、人事の人が早く来ればいいと思った。「いや、人事なんて、普通城にいないよねぇ?そうだよね?でも、なんていうのかなぁ、モダン経営?そう、ヨーロッパのね、あ、君、バチカンって知ってる?」そこで人事の侍が部屋に入って来たので話は中断となった。

二十五.さて人事の浪人は、四つの着物を持って部屋に入ってきた。「フリーサイズだからね、君の好きなのを選べばいいよ。まあ、この藍染の着物かなあ。これかなぁ。いや、君の好みを選べばいいさ、僕って超有能な経営者のくせに、ぜんっぜん押し付けがましくないからさ。こちらの黒は、暗いよネェ、ね、そう思わない?もぅ時代遅れっていうかさぁ、もう飽きちゃった。くすっ。僕の感覚が、若すぎるっていうかね。で、だね。こちらの西洋騎士風のも、今回、新作ね。なんていうのかなぁ、君は多分、ついて来れないよね。あ、大丈夫、大丈夫、僕ほどの美的感覚を養えって、そりゃ無理だよね!なんでもいいんだよ!信じてないでしょ。いや困るなあ、僕、ほんっとに心が広いからさぁ。君がどれを選ぼうと、気にしな〜い!なんちゃって。てへ。ねぇ、早く決めてよ、僕忙しいんだからさ、ね?空気読んでくれる?」僕はもう一つの薄い墨汁を水面にたらしマーブルを描いたような最後の着物を気に入っていたので、城主がそれについて、どのような意見を持っているのかを聞いてみたかった。「は?君は、何?え何何?決められないの?うそでしょ、武士でしょ、曲がりなりにも!着る物でいちいち悩んじゃう?女子みたいに?マジで?即決でしょ。」僕は自分の顔が紅潮するのを感じながら、言った。「自分は、この灰色が良いです!」「エーー。あ、そう。いいよ。ヘェ〜。僕は心が広いから何も言わないからね。安心してよ。さ、では行きたまえ。ねぇご飯まだ?ちょっと、給仕呼んで来て、給仕!」そこで一応気に入った着物を着られることになったので、安心して、その人事の浪人と共に部屋を出ようとした。

二十六.「ちょぉっと待ったあ!!」やはり、というかその城主は、私達を引き止めた。2人して振り返ると、ニコニコしながら、こう言った。「そんな、そんな、大袈裟な!もう、君たち、若いね〜そんな顔しないで。え、僕ともう話たくない?そんなはずないよね〜面白いおじさんでしょ?あ、君、君は出たまえよ。」そして人事の浪人は部屋の外に出るように促された。カタンと襖がしまると、妙な気配を感じた。というよりも、部屋全体の空気が突然変わったのが分かった。そして城主はもう笑ってはいなかった。「始まる。」僕は瞬時にそう思った。「君ね。もしかして…僕の勘違いだったら、ごめんね。だけど、僕の目は誤魔化せないよ。そう。君は以前、僕の…。」

二十七.「僕の龍を、いじめなかった?」彼はこう聞いたのだった。「龍」「そう、こーんな、でっかい緑色の、龍。ドラゴンね」僕は考えた。城主は、あのドラゴンのことを言っているのだろうか。「失礼ですが、あれは夢の中の出来事でした。あなたの龍だったなんて、まるで知りませんでしたし…。それに、虐める、というと、必ずしもそういう表現には当たらないと、自分では思っていて…。」「あーもいい、いいってゆうか、良くないよ。あの龍を育てるのにね、かな〜り苦労したんだ、俺はさ。あんなデカイ龍、見たことねぇだろ?貴重なんだよ。仮にあの龍がさ、仮にだよ?調子に乗って、性格が悪くなってしまったとしよう。しかし、そいつの好物が人の不幸や不安、恐怖や妬みだったとしても、それが悪いっていうのかい?コンプレックスを刺激することで、治る病気もあるみたいにね。」「それは、初耳ですね」「君は、若いからまだ分からないんだ。そうだね、そんなことは、滅多にないことかもしれないね。けれどその龍はそういう食べ物を好んだ。」僕は唇を噛み締めた。この話のいく先を考えると、気が遠くなりそうになった。「君だって、好きな食べものがあるだろう。それと、大して違いがないと思わないかね?」「…わかりません。ちなみに僕には、大して好きな食べものも、嫌いな食べものもありません。強いていうならば。僕は好きな人と食事をするか、好きな人がそこに居なければ、1人でそこにあるものを食べます、感謝のうちに。それだけです。」すると城主は「いいなぁ…。」と呟いた。その時まで、城主は全くと言っていいほど、瞬きをしないのであった。だから僕も、一切瞬きをせずに彼の目を見つめて話した。瞬きをした瞬間に、一本ずつとられる、そんな気がしたのだ。

二十八.その龍は、今はどうされていますか。と聞こうとしたが、城主は僕よりも幾分か頭の回転か、気変わりかが早いようだった。突然、気を取り直したように、一度にっこりしてから伸びをして、言った。「ところで君。君の特技は、なんだね。」僕は不思議に思った。僕は幼いころから、剣術に関しては、少なくとも僕の住む村の中では、神童とよばれていて、それからも父や母をがっかりさせないためにも、毎日のように鍛練してきたつもりだ。毎日、だ。そしてこの仕事の話をちえから聞いたときには、ついにシラサギ城の城主にまで僕の名が轟いたのだと、2人して喜んだ。しかし、今この城主は、僕の特技は何かと聞いているのだった。もしかして、得意技のことを聞いているのだろうか?「僕は…。」「この城はね。」彼は遮って言った。「もう何年も、平和なんだよ。つまり、戦に参加していないんだ。わかるかい?」彼は人差し指で自分の顳顬を二、三度叩きながら、言った。「ここがいいのさ。戦なんかしたって、皆んな損じゃないか。領地なんて、広げなくたっていい。あとは、周りと仲良くやるのさ。しかし、城の中は戦だがね。」「中で戦?」「ああ、浪人は今職が不足しているだろ?平和だから、そんなに要らないよね。わかるかい?しかし、要るときには、やはり要るのさ。保険みたいにね。だから、君を雇い入れた。」「保険。」「君はそこそこ頭も良さそうだから、わかるだろう?要は、君は普段この城の中で、相当暇だってことさ。」「...。」「君、暇でいるのは、嫌いかね?何かしても、しなくても、給料は一緒さ。」「僕は、練習をしていないと、自分の腕が落ちてしまうことが、とても嫌です。」「それは、君の勝手だろう。」城主は、少し疲れてみえた。いつの間にか、外では雨が降っているようだった。龍を飼う人は雨を降らせるというのは、本当か。僕は雨が降り注ぐ沼の上をゆっくりと舞う龍の姿を想像した。

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